【天埜酒造蔵見学】
知多半島は江戸時代末期には、神戸・灘に次ぐ日本酒の生産地であったことはあまり知られていない。
江戸時代、尾張藩は酒造の保護・奨励に力を入れ、米の増産、優良な仕込み水の確保、天然の良港に恵まれた知多の地の利を生かし、廻船による江戸市場への出荷により江戸の人々の評価を得たのである。江戸末期の最盛期には、二百を超える酒蔵があったそうであるが、明治以降衰退し、現在に至っている。現在も酒造業を取り巻く環境は厳しいものがあるが、知多の杜氏は、歴史と伝統の上に銘酒を造り続けている。
天埜酒造は、当時庄屋であった六代目天埜伊左衛門が嘉永元年(1848)に創業し、江戸末期以来の歴史を有している。
長い歴史には逆境もあり、明治14年には火災により一時酒造業を中止、大正6年に7代目が再興、戦前までは銘柄「種蒔」として愛されていた。
現在の「初夢桜」は昭和21年8代目が、「戦後の復興に励んでいるみなさんに親しまれるように」との祈りを込めて命名したとのことである。
昭和34年9月26日の伊勢湾台風の襲来により酒蔵が水に浸かり、甚大な被害を受けたが、初夢桜は逆境をはねのけ、現在も可憐な花を咲かせ続けている。
他の蔵にない特徴が現在の初夢桜にはある。それは、杜氏さんが女性なのである。古は、蔵は女人禁制の場であった、男女機会均等法の御代とはいえ、伝統の仕事場である、女性の杜氏さんは、まだ珍しいと言える。杜氏さんは、現当主の奥様の天埜幹子さんである。
その酒造の実力は、全国の蔵が目標にする「全国新酒鑑評会」にて、平成15年度、16年度、連続金賞受賞により証明されている。
漆喰の白壁の初夢桜の表示のある天埜酒造合資会社の門を入ると、すぐ右に展示販売コーナーがある。新酒の季節である、購入のお客様が車で来場されている。