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2006.11.25 愛知県酒造技術研究会の松尾大社参拝に参加しました。

 

需要構造と業界の取り組み
 流通の問題を考える場合、産業政策が供給側から消費者側へ立場を変えていることを前提に考えておく必要がある。供給側を競争させて、消費者の利益に繋げることが目的である。缶ビールの価格競争は消費者は有難いだろう。では、高級な日本酒について、競争政策が機能し、消費者のためになるような結果をもたらすであろうか。前述のように、町の酒屋さんが無くなっては、競争はないであろうし、蔵は販路を失うであろう。供給側の競争が問題なのではなく、問題は、需要構造にある。供給側の努力ではなく、需要側の構造を変える努力が必要なのである。個々の蔵・酒販店の努力の問題ではなく、業界としての取り組み努力が必要なのである。経済学の原理を使って、整理してみよう。



縦軸に価格、横軸に生産量・消費量をとると、供給曲線は右上がり、需要曲線は右下がりになる。現状の市場では、農産物と違い、日本酒には価格が硬直的で、需給を均衡させる様に動かないので、価格P1では需要がQ1、供給がQ2となり、需給は一致しない。市場構造は供給過多、需要不足である。 Q2-Q1は過剰生産として、在庫になる。積極的に古酒にする在庫であればよいが、売れ行き不振の不良在庫の場合が多いだろう。

現在の行政の競争政策は供給サイドの政策である。負け組の酒販店が販売の舞台から去り、負け組の蔵が醸造の舞台から去ることにより供給を減らし、需給を一致させようとする政策である。これは、供給側から見れば、縮小均衡であり、望ましい結果をもたらすものではない。日本酒の業界のみならず、どの業界でも、供給者保護行政は過去のものとなり、消費者保護行政となっている。需要構造を変え、需要曲線を右上方にシフトさせなければならない。需要曲線が右の点線の需要曲線になれば、需給は一致し、過剰生産はなくなるのである。供給量も維持・増大可能であり、望ましい解決といえる。

個々の酒販店・蔵の努力も必要であろうが、個々の力には限界がある。酒販の組合と酒造の組合が大同団結し、小異を捨て大同につく事が必要だろう。昔の保護された商売が出来た古き良き時代のノスタルジーから抜け出して、消費者の需要構造を変えるための、組合としての具体的な行動が必要な時代である。

バレンタイン・チョコレートは参考になる。チョコレートの年間消費量の4分の1がこの時期に消費される国民的年中行事になっている。本命チョコならばいざ知らず、義理チョコまで購入させている。チョコレート業界の戦略勝ちである。日本酒業界に戦略はあるだろうか。一部の酒販店で父の日に日本酒を贈るセールを行っているが、業界で全国的に推し進めたらどうだろう。父の日または父親の誕生日に高級日本酒を贈る年中行事とする。今の一升瓶、四合瓶ではいけない、品の良い容器に入れ、容量は二合程度でもよい、銘酒の説明書を付けて、リボンまたは熨斗でも付けて贈るのである。ただ品物を贈るのではない、日本文化に則り心を込めるのである。娘(もしくは奥さん)が、父親に対する感謝の気持ちを込めて、お酌をするのである。このお酒を悦ばない父親が居るだろうか。

企画検討してみれば、日本酒の業界として取り組むことは数多く見つかるのではないか。隣接の料理飲食・調理師、観光、商社、放送・通信の業界とタイアップし、ジェトロ、商社と手を組んで、行政も引き入れて、取り組めば需要構造は大きく改善するだろう。国内の需要が拡大し、世界に需要が拡大すれば、需要曲線は大きく右上方にシフトするのである。

折しも、島根の天界酒造が、この11月に蔵を閉めたとインターネットに書かれている。110年の歴史に幕を引き、醸造の舞台から去るのである。その理由は後継者不足なのか、販売不振なのか、それ以外の事情なのか解らないが、真に残念なことである。杜氏が安心して自分の目指す酒が醸せるような時代にしたいものである。日本酒を愛する我々は、白鳥の歌なんか聞きたくないのである。酒造りの唄声が聞きたいのである。

(報告:Y)