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2008/5/30 「愛知県酒造技術研究会発足50 周年 愛知の地酒と杜氏を囲む会」に参加しました。

 

【感想】

この感想は、筆者の夢想・妄想に拠るものであり、日本酒の会sake nagoyaの公式見解では無い事を予め申し上げておく。

  1. 周到に考えられた企画で大変贅沢な時間を過ごせた。
    名古屋のイベントで1万円の会費は、安い方とは言えないが、内容から考えれば格安、東京なら当然2~3万円の会費だろう。
    各蔵の杜氏と話すことが出来、出品された銘酒の顔ぶれを見るだけでも楽しい。
    料理も一人一人提供されるので、ホテルでのイベントにありがちなブッフェ形式の料理争奪戦の結果、食べもしない料理がテーブルに残り、酒を利いている人は逆に何も口に入らないと言った、騒然とした雰囲気はなく、落ち着いた雰囲気で懇談が出来た。
    イベントは気配りが第一である。
  2. 50年の歴史を語る人の言葉は重いものがあった。愛知にも大倉先生、川村先生、西田先生がおられるそうなので、この方々のお話もお聞きしたいものである。
    来年以降も開催されるのであろうから実現の見込みはあると期待しよう。
  3. 愛知県酒造組合は元気だろうか?
    愛知県の酒造技術研究会(愛知県杜氏組合)は若く活力に満ちた元気さがあることは今日のイベントでも実証された。蔵元については、酒造組合についてはどうだろう?
    蔵の規模・経営方針も違うので纏まることは難しいのであろうが、それは他県でも同様である。隣の三重県では新酒の利き酒会を一般公開しており、組合のHPを持ち、一般消費者に情報提供を行っている。
    世界にも営業網を持っているような大企業の名古屋支店でよく言われることだが、名古屋支店は情報発信の気持ちが無いと言われる。名古屋中京地区だけで一つの圏があるので、他の地方に出る必要がない、気持ちが其の圏に安住しているから愛知の自閉症だと言われる。愛知県酒造組合もその傾向ではないだろうか。
    一般消費者に情報発信することが必要な時代である。同床異夢は止めて、せめて、組合HP位開設して欲しいものである。
  4. 愛知県の酒の味
    今日の話にあったように昔の愛知の杜氏は越後杜氏が中心であった。越後の酒の姿は「端麗」である。最近はそうではない蔵もあるようだが。
    愛知の酒の味わいについて、ある静岡の酒屋の店主はなぜ愛知の酒は扱わないのかと聞かれて、「味が濃すぎる」と言った。その店は磯自慢の他は新潟の酒である。
    愛知の杜氏が越後杜氏から蔵の社内杜氏に変わるにつれ、愛知の味に変化したのだろうか。
    最も愛知らしい味は、赤味噌の味、簡単に言えば「どて煮」だろう。甘辛酸の厚い味である。関西の出汁とも関東の醤油とも違う、豆味噌の滋養充分・旨み充分のこってり味に合わせるには酒も味が濃くなければ合わせられないのだろう。
    スッキリした大吟醸の味わいの蔵もあるが、言われてみれば、一般的には愛知の酒の味は濃いかも知れない。
    筆者は、軽く広がり、切れ味の余韻のある吟醸酒の世界が好きである。日本文化の特質は、気品・余韻・陰影・かげろいだろう。食中酒だけが日本酒ではない。酒だけを楽しむ、盃の中に美味いものはすべて入っている、その美味さを心行くまで味わう、そんな飲み方もある筈である。
    ふと香る吟醸香に、軽い入り口から中にはいると、すーっと引き込まれていき、気持ちが良いなーと思っていると、気付くと仄かな余韻だけが込められた残り香が流れている、そんな風格の大吟醸も愛知の蔵に造って欲しいものである。
  5. 日本酒は易しくない、難しい。だから楽しい。
    日本酒は難しいから良いのである。ビール、ウイスキー、焼酎に比べたら格段に難しい。銘柄、酒質、保管、引用温度、熟成etcどれもこれも複雑・微妙で難しい。簡単に全貌が見えるものではない。駆け出しの筆者の視界はまだ狭いままである。
    日本酒は難しいから駄目だと考えるのは間違っている、発想の転換が必要である。日本人は難しい物が大好きである。一見簡単そうだが実は奥が深いものが大好きである。俳句などその典型だろう。
    日本の芸事に易しいものがあるだろうか。踊り・唄・生け花、すべて奥の深いものに惹かれるのが日本人である。日本酒は、当たり前のことだが日本人が惹かれる条件を持っている。
    日本酒は難しいから良いのである。難しさを楽しむ人が集まって、ワイワイ楽しんでいれば、其処に人は集まってくるのである。
    曰く「桃李不言 下自蹊成」(史記-李将軍列伝)(桃李ものいわざれど、下自ずから蹊を成す)である。
    意味は、「桃も李(すもも)も、何も言わないけれど、その良い香りで人を導き、その下には自然に蹊(道)ができるものだ。同じように、良い人・楽しいものには、自然と人が集まってくるのだ」ということ。
    難しい日本酒をいい大人がみんなでワイワイと楽しんでいれば、自ずから人は集まってくるのである。現に、日本酒の会sake nagoyaの毎月の定例会は筆者が参加し始めた頃は20名前後の参加者で、何時の日か会場の「かのう」を貸し切りにしたいと言っていたものだが、昨年来毎月の定例会は満員御礼・札止め・貸し切りが続いている。参加できない人が毎月出ているのである。
    正に今日の企画も、いい大人がワイワイ楽しめる難しさ・楽しさに満ちている。
  6. 日本酒の供給責任
    前にも書いたことだが一般消費者に一升瓶は大きすぎる。良い酒は冷蔵する必要があるが、家庭用冷蔵庫に入らないのである。何本か入れようものなら家庭紛争が発生することは間違いない。開封後の酒質の維持を考えると家庭用として、一升瓶は大きすぎると言わざるを得ない。容量、容器については真剣に勉強する必要があると思う。
    ガラス瓶も検討すべきである。筆者はアルミ缶、紙パック、プラスチック容器をもっと研究すべきだと思う。紙パックでも牛乳パックのようではなく、形・デザインを洗練されたものにすれば、消費者に受け入れられると思う。360mlで供給すれば、飲みきりサイズで、冷蔵庫に入れやすいし、酒質保持の点でも瓶より良いと思う。
    ある人気銘柄の蔵は、聞いた話では、「一般消費者には供給しない、消費者は飲み屋で飲めばよい」という姿勢だそうである。一般消費者に供給がされないため、非正規業者がネットで法外な値段で販売している実態がある。蔵元は、それを承知の上でそう発言しているのであれば、一般消費者を馬鹿にしているとしか考えられない。
    筆者は、その蔵の銘柄をすべて飲み尽くした訳ではないが、その蔵の最もできの良い酒は、最も低価格帯の酒で、大吟醸クラスのものは普通であると思う。愛知県の蔵の酒でも、同等以上のものはあり、プレミア価格で購入する必要は全くないと言ってよい。
    イソップの寓話のように、手に入れられない消費者は、「酸っぱい狐」になり、あれは、酸っぱいと言っているより方法がないのである。
    日本酒は、消費者がお金を払って買って飲んでなんぼのもんである。蔵元は、自信のある銘柄の供給について、一般消費者の手に渡るまでの全過程について真剣に検討し、供給責任を果たす必要がある。